2015.09.13 Sunday

英語化は愚民化 施光恒

なんとなく購入した本だったのだが、意外に興味深かった本。

興味を持った理由と言うのが、私が外資系の企業で働いており、英語を使わざるを得ない環境に置かれることが多いからである。

そのような環境で働いていると、英語でPPTで資料を作り、英語でミーティングといったことが日常茶飯事である。

本国への報告であったり、外国人が参加するミーティングだったりということで、どうしても英語を使った方が好ましいという状況が生まれてしまう。

私は、これは当然のことで、おそらくこの本の著者の施光恒氏も、同様だと思う。

ところが、今の日本が推し進めているのは、異常なまでの英語化である。

「英語偏重教育」「英語特区」と言ったものは、誰がどう考えても、財界のニーズとして思えないのだが…
(大学をはじめとする学校は、ビジネスマン養成学校でしたっけ?)

もちろん英語の教育自体は重要で、適度な英語教育、外資系企業で英語を使うといったことは、当然だと思う。





また英語を公用語とすることで、日本語の地位の低下の危険性が高まることや、中世ヨーロッパでラテン語から現地の言葉に翻訳されることで大きな変革をもたらした話など大変興味深かった。

ただ現実的な話をすると、グローバル化という名のもとに、英語を使えたことが好ましい環境は増えていくと思われる。

そこで英語力があったほうが、仕事を見つけるにしても、よい収入を得るにもチャンスは広がるはずである。

繰り返しになるが、誰もが強引に英語を学ばざるを得ない環境には反対だし、過度な英語化は混乱しか生まないと思う。

だが、必要に応じて英語を学ぶことは好ましいことだし、実際に私は英語を使う機会が多い環境で仕事をしている。

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