2022.06.04 Saturday

石原慎太郎伝 大下英治

東京都知事、運輸大臣などを歴任した石原慎太郎が2022年2月1日に亡くなった。

その石原慎太郎の生涯を、政治をテーマとしたノンフィクション作家として有名な大下英治氏が書き記す。

亡くなった方についての本という事で、やや美化しているところも多いのだが、大下氏は石原慎太郎とは2人で食事をする間柄だったようで、衝撃的なエピソードもあり面白い。

この本の帯にも書かれていることなのでネタバレを承知で紹介すると

石原慎太郎「日本人は、なぜこのように自ら責任を取ることにない、だらしない民族になり下がってしまったと思う」

大下英治「…」

石原慎太郎「最も国家に責任を持つべき天皇陛下が、昭和20年8月15日の太平洋戦争の敗戦の日、自ら割腹して果てなかったからだよ」

このような「えっ?」と思ってしまう天皇観を持っており、こういう考え方であったため同じ作家である三島由紀夫と激突してしまう。

ちなみに上記の会話は、編集者を帰して2人で食事に行った際に大下氏が聞いたもので、(石原慎太郎が)死んだあとは書いてもかまわないと承諾をもらっていたそうである。

石原慎太郎は好き嫌いが分かれる人物だと思うが、読み物としては面白いと思う。



都知事時代のエピソードで、防災訓練で銀座に装甲車を走らせたということが書いてあったのだが、それずっと前に裕次郎さんは西部警察で実行済みです。

やはり血のつながった兄弟ですね(笑)

2021.05.25 Tuesday

流れゆくままに 渡哲也

「生まれつきのノンキモノでナマケモノ」で、俳優なんて興味がなかったのに、大学時代に空手部の仲間が勝手に応募してしまったことから、俳優への道がスタートする。

子供の頃から、人までに出るのも話すことも苦手で、口をきかずに黙々とこなす仕事を求めていたのに、真逆の職に就いてしまい、「俺は俳優に向いているのか?」という疑問を常に持ちながらの俳優生活。

そんな渡哲也さんの人生が本人の言葉で書かれている。

幼少期のこれぞ“昭和の男”な父からの厳しいしつけや家族のエピソードなど、あまり知られていない渡さんの子供時代の話が興味をそそる。

淡路島を出て、三田学園に進学、その後の青山学院大学入学あたりから、我々のイメージする俳優・渡哲也が完成していったように思える。

俳優としてスタートするも、その俳優の歴史は闘病の歴史に他ならない。

闘病は、渡さんご自身の闘病だけではなく、石原裕次郎さんの闘病をともに闘い、余命が残り少ない裕次郎さんから「こういう映画がやりたいんだ!」とアイディアを語られた際は、実現不可能なことが分かっているので辛かったと思う。



あまり乗り気ではなかった西部警察の話、高倉健さんや松田優作さんとの興味深いエピソードなど、今まであまり語られていなかった内容も多く面白い。

渡さんの人柄がよく分かる素敵な本だと思う。

2021.02.07 Sunday

石原裕次郎 渡哲也 石原プロ社史

創業から58年の節目を迎えた2021年1月16日、惜しまれつつ石原プロモーションは解散することとなった。

その石原プロモーションの会社の歴史がつまっている本。

やや雑な編集のところもあるが、そこはご愛嬌(笑)



石原裕次郎

渡哲也

舘ひろし


2020.08.15 Saturday

渡哲也




団長

2014.01.04 Saturday

西部警察 アルティメット コレクターズエディション コンプリート ブルーレイBOX

西部警察の全236話がBlu-rayで発売される。

「欲しい!!」とは思うが価格が207,900円…

「こりゃ手が出ないな…」と思ってたら、楽天ブックスでは158,004円と50,000円くらい安い!!





思い切って買っちゃうか!!


2009.07.06 Monday

石原裕次郎二十三回忌(追伸)

実は私は今回の国立競技場で行う23回忌には正直言って反対であった。
「なぜ国立競技場?」という思いも強く、スポーツの聖地である国立競技場に対して、僧侶やお釈迦様に対して、そして何よりも石原裕次郎本人に対して失礼に思えたからである。

ただ、実際会場に行ってみると国立競技場でやってよかったように思えた。
というのも、早朝から人が集まり11万6862人もの人達が参列したのである。

総持寺がある横浜・鶴見にこれだけの人達がどっと押し寄せたらたまったものではない(13回忌がそうであった)

そのようなことを考えると、10万人以上の人々が訪れてもパニックにならないような場所は国立競技場くらいしかないように思えた。
また国立競技場周辺は、民家などが少なく神宮球場やラグビー場等がある地区である。

そのようば場所柄、多くの人達が大挙して押し寄せてくるのには慣れているだろうし、飲食店にはお金が落ちるのだからこの不況下ありがたいことなのである。

世間では「バカみたい」という声もちらほら聞こえたのだが、あの押し寄せる多くのファンを見ればそんなことは言えないはずである。
多くの人が来るので迷惑にならない場所、というコンセプトで考え付いた場所が国立競技場だったのであろう。
もちろん派手なことが大好きな石原プロならではという考えもあっただろうが(笑)
石原裕次郎23回忌8

また上記写真の記念品は家宝にしたい代物である。
ちなみに、上記の裕次郎焼酎と裕次郎写真集のセットが23回忌の記念品であった。
さすが石原プロ太っ腹!

2009.07.05 Sunday

石原裕次郎二十三回忌

石原プロのイベントと言えば絶対と言ってもいいくらい雨が降っていたのだが、今日は珍しく雨が降らなかった。

また今日は暑くもなく、寒くもなく、それに湿気もないのでとても過ごしやすい気候であった。

石原裕次郎23回忌6


老若男女、そして小さいお子さんをお連れしたご家族と様々な層の方々が来場していたのだが、やはりシニア層の割合が多かった。
そのようなシニア層の方々にも過ごしやすい気候であったので、たいした混乱もなくスムーズに進行していたように思えた。

石原裕次郎23回忌7

2009.07.05 Sunday

石原裕次郎二十三回忌

18時になるとちょっとした嬉しいサプライズがあった。
石原裕次郎の夫人であるまき子さん、ついつい団長と呼んでしまう渡哲也さんをはじめとする石原軍団が全員出てきてくれてご挨拶をしてくださった。

その挨拶が終わった頃に献花の出番がやっときた。
献花に行くには、裏側の通路を回るのでこの呼ばれるタイミングが悪かったら渡さんの挨拶が聞けなかったのである。
私は意外と運がいいのかもしれない。

石原裕次郎23回忌4


グラウンドレベルに降りて、いわゆる裕次郎寺を目の当たりにしたのだが…
「なんじゃこりゃ!」

質感のある本当にきっちりした寺なのである。
「これ本当に普通の寺じゃないか!」というのが率直な感想であった。

石原裕次郎23回忌5


献花台は撮影禁止だったので、その画像がない点はお許しいただきたい。
(献花台はテレビ等でご覧頂ければ幸いです)

2009.07.05 Sunday

石原裕次郎二十三回忌

本当は午前中から行きたかったのだが、所用があり、また午前中は絶対に混んでいると思ったので夕方17時頃に着くように向かった。
中に入る際に、下のような整理券を渡される。

石原裕次郎23回忌2


「なぜ整理券?」「なぜ客席に?」と思っていたが通路から客席に出たら納得。

石原裕次郎23回忌3


観客席には人、人、人。
献花の順番を待つ人がこんなにいるのか!?

仕方がないので席に座り、自分たちの献花の時間が来るのを待つ。
ちなみに横にいた年配のおばさんは岡山からこの献花のためだけにわざわざ新幹線で来たらしい。
すごすぎる。

2009.07.05 Sunday

石原裕次郎二十三回忌


昭和の大スター・石原裕次郎!!

その石原裕次郎の二十三回忌が国立競技場であるという事で、やはり行かずに入られなかった。

というのも、私は13回忌で横浜・鶴見がパニックになった総持寺に並びギリギリで記念品のワインを入手、また17回忌では品川プリンスホテルで名作「黒部の太陽」を見せてもらった。

となると今回が最後の大規模イベントといわれている23回忌は行かずに入られなかった。

石原裕次郎23回忌1

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