2020.10.12 Monday

世紀の落球 「戦犯」と呼ばれた男たちのその後 澤宮優

タイトルにつられて購入。

北京五輪の野球日本代表となったG.G.佐藤。今も語り継がれる高校野球星稜・箕島戦の星稜一塁手加藤直樹。最終戦で敗れ、巨人のV9を阻止できなかった阪神の池田純一中堅手。

これらの3人の落球と、その後の人生がテーマなのだが、世代的に私が記憶にあるのがG.G.佐藤の北京オリンピックでの落球だけである。

そのため、このエピソードを中心に話をするが、2008年北京オリンピックに星野仙一率いる日本代表が金メダルを目指して挑んだ大会である。

この年のシーズン、G.G.佐藤は調子が良く、日本代表候補に追加収集された。

この時点ですでに重要なミスがあり、この時の代表メンバーにレフトを本職とする外野手が選ばれていないのである。

現役時代に名外野手であった守備走塁コーチの山本浩二が、この点を指摘すべきだった気がしないでもない。

ただG.G.佐藤も「ライトもレフトも同じようなものだ」と思い込んでおり、この点はもう少し事前にレフトの守備を練習しておくべきだったように思う。

リーグ戦から準決勝に進むのだが、その試合にG.G.佐藤は右肩に痛みを抱えた最悪のコンディションで臨んでいた。

その試合で、まず4回にトンネルをしてしまう。内野手のトンネルなら後ろの外野手がカバーしてくれるのだが、レフトのG.G.佐藤の後ろに野手はいない…

さらに9回の左中間への打球をグラブに当てるも弾いてしまい試合を落としてしまう。

森野将彦と阿部慎之助が試合後食事に誘って励ますが、G.G.佐藤の気持ちはここにあらず状態であった。



そして次の日の3位決定戦に。星野監督はG.G.佐藤をまさかのスタメン起用!

星野監督の采配を知っているファンなら、借りを返すチャンスを与えるのが星野采配なのだが、完全に気落ちしているG.G.佐藤にとってそれはさらなるプレッシャーとなってしまう…

3位決定戦でもエラーをしてしまい、銅メダルすら取れないという結果に終わってしまう。

一時は死にたいとまで思ったG.G.佐藤は、星野監督に謝罪の手紙を書くのだが、日本代表のキャプテンを務めた宮本慎也を通して「あのことは気にしなくていいから、自分の野球人生を全うして、野球界に貢献しろ」と星野監督からの伝言を受け、G.G.佐藤はその後必死にプレーし野球界に貢献することに。

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